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2009.09.07 Mon 02:35
私達が最初に飼ったバウンサーちゃんが亡くなってから2年が経ちました。2年前の9月6日でした。台風が来ていてとても強い雨の降っていた日でした。

どうしてるかな、バウンサーちゃん。

バウンサーちゃん

うちの玄関先で衰弱して一歩も動かなくなっていた猫をまるでクラブの入り口に立っているバウンサー(用心棒)みたいだとバウンサーと名付けました。猫との生活の最初がバウンサーです。

亡くなる前の2年3ヶ月前のことでした。その日も6月だというのに台風が近づいていてとても寒かったのを覚えています。最初うちはペット禁止なので里子へ出そうと、どなたかいい人がいないか探していたのですが、情が移り大家さんにお願いをして承諾をもらい飼い出した猫でした。

うちに来た時にはすでに10歳以上の老猫で歯ももういくつか抜けていました。目も片目が白く濁っていて殆ど視力はなかったと思われます。おそらく耳も殆ど聞こえていないようで真後ろで手を叩いても無反応でした。やせ細り2.1キロしかない小さいな猫で、餌にもとても苦労しました。すごい偏食で沢山餌も捨てたり、誰かに差し上げたりしました。やっと食べてくれたのがヒルズのグロース。後はシニア向けの猫缶のみ。最初はスナック用のサーモン風味のカリカリしか食べてくれなくて・・・一日何粒ってパッケージには書かれてるのにそれをほぼ主食にしていたこともありました。、病院の先生も食べないよりは食べた方がいいということでそればっかりあげてた時もありました。

おまけに癲癇持ちで最初に発作を見た時はそれはそれはビックリしましたよ。私はそれがきっかけでバウンサーをうちの子にしようと思ったんですけどね。猫が恐くて断然犬派だった私が(笑)。だって最初の何週間はバウンサーを見てかわいいと思ってもちょっと恐くて触れなかったくらいです。でも猫の魅力にハマッテしまったんですね。

最初の発作は朝方の事だったんですが、発作が何かわからずオロオロして病院に電話しても繋がりません。オロオロしているうちに発作がおさまったのに、それも何がなんだかわからず、もう死んでしまったんじゃないかと、この猫を失ってしまうということにとても後悔を感じたのがきっかけでした。うちで面倒をみよう!って。でも癲癇の発作中はあとで動物病院の先生に痛みや苦しみは本人は感じていないと聞いてとても見てるのは辛かったけど、きっちり3ヶ月ごとに起こる癲癇の発作を見守ることはできました。

その後は言葉通り、猫かわいがりですよ。同居人も私も。もしかして私が産んだ子じゃないかと錯覚に陥るくらい(笑)バウンサーは老猫のせいか大人しい、いい子でした。エコーで確認するとどうやら手術もされていて絶対に飼い猫だったんだと思います。どういう事情でどこからどうやって家の前に辿りついたかは何度聞いてもバウンサーは教えてくれなかったのでわかりませんけどね(笑)

夜鳴きが保護当初はひどい猫でした。すごい大きな声で鳴くんです。近所迷惑だったと思います。病院の先生は『ボケ鳴き』かもしれないと言ってましたけど、なんだったのか今でもわかりません。私達も諦めて慣れてきた頃にはその夜鳴きは治まっていましたね。ホントになんだったんだろう。飼い主と離れて不安を感じると大きな声で鳴く猫がいるらしいと聞いたことがあります。前の飼い主を探していたんでしょうか・・・・。


バウンサーちゃん

病気になる前にはお手も覚えました。犬には普通『お手!』と言ってお手をさすのでうちのお嬢様猫には『ボンジュール!』と言ってお手をさせました。聞こえていたかは不明ですが・・・(笑)確か1ヶ月くらいかかったかなぁと思いますが、老猫でも芸を覚えるんだとビックリしたもんです。

隅田川の花火も一緒に見ました。同居人がブランケットでおくるみをして表で近所の人達と花火鑑賞です。とてもいい思い出です。

いつも私か同居人と一緒に寝てました。特に女の子だったせいか同居人はとても可愛がっていたし、バウンサーもよく懐いていましたね。今うちにいるCam-CamとPaw-Pawもそうですが、仲がいいとホントにシンクロするようでよく同じ格好で寝てました。同居人とは髪の色も目の色も同じなのでホントに親子のようで面白かったです。

2年というとなんか短いなぁ。なぜかとても長かったような気がします。

今でも覚えています。会社からの家路はバウンサーに会えると思うと小走りでした。とても忙しい日々を過ごしていましたが、家に帰るのはもちろんバウンサーに会いたいからで、一分でも早く家に着きたかったものです。

家に着き、二階へあがると低位置にバウンサーは座っているのですが、私の姿にハッと気づき、『にゃ~にゃ~にゃ~にゃ~』と鳴きながら足もとへやってきました。毎回『遅かったじゃない、どこ行ってたの、待ってたのよ~~』と言われている気分でした。


ある日、どうも目の瞳孔がオカシイと気になって病院に連れて行きましたが、様子を見ようということになり、その一週間後です。突然目が見えなくなりました。違う病院で処置を施してもらいました。触診で腎臓も悪そうだと即入院。結果、高血圧からくる網膜剥離でした。処置が早かったせいか、可能性は五分五分だと言われていましたが、視力は戻りました。片目はもうダメだったのにもう片方の視力まで奪ってしまってはとそれはそれは不憫でしょうがなかっとのですが、本当によかったです。それからの半年は何度も何度も病院へ行きました。老猫だったのでタクシーです。最初の入院中にはいくつもの病院に断られてきた抜歯の手術をしました。私からお願いしたのではなく病院からの薦めでした。バウンサーの年齢を考慮するとどの病院にも麻酔事故が恐いということでステロイドで誤魔化してきた歯肉炎。こんなにも病院によって対応が違うのかとそれ以来こちらの病院には絶大な信用を置いています。その後少しですが、ご飯も食べれるようになりました。でもご飯を食べるようになると今度は原因不明の下痢です。しかもしぶりっ腹と言って数分おきにきばるんです。家中にトイレシートを敷き詰めて生活していました。常に便が染み出てきているのでバウンサーが歩くとあちこちに便がついてしまいそのシート交換を朝晩何度もしました。強制給餌と点滴も半年続きました。強制給餌の時はあんなに弱っているバウンサーによく引っかかれたもんです。病弱そうな猫だったのに実はとても強い猫だったんだなぁと今になって思います。

そしてバウンサーを思い出す度に思うのは、バウンサーに触れる度に『幸せに触れてる』と感じていたことです。幸せって感じても触れることってできないのに、なぜかそう思っていました。

恥ずかしいのですが、何を隠そう私は年甲斐もなく後にKinKi Kidsのファンデビューをし、彼らのCDを買いあさって知ることになるのですが、『ボクの背中には羽根がある』という歌を聴くたびにバウンサーの事を思い出し泣いてしまいます。

ずっと君と生きてくんだね
胸に頬寄せて確かめる
どんな辛い未来が来ても
二人だったら乗り切れるさ
嘘じゃないよ
今、『幸福』に触ったみたい

ずっとバウンサーの年齢がわからないだけに、でも老猫だということはわかっているのでそんなに長い間一緒に居れないかもしれないと思っていました。
だからバウンサーの鼓動を聞いてこれが止まるなんてまだまだ有り得ないといつもバウンサーの鼓動を確かめてました。通院中も何をしてでも絶対助けると思っていました。そしてバウンサーを撫でたり触ったりしているときの至福の時間、いつも幸福に触っている、しかも2番の歌詞に出てくる『優しさ』にも触れていると思っていました。

たぶん、アイドルのコンサートに行って泣いてるのは私だけですよ。もちろん恋愛を想定して作られている歌に、しかも亡くなった猫の事を思い出して(笑)作詞者や歌手はそんな事夢にも思っていないんじゃないかなぁ、まったく変なオバサンです。

この時期秋を感じます。コスモスが大好きです。最寄の駅に飾られているコスモス。これは私達が心からかわいがったバウンサーちゃんへの贈り物だと勝手に思っています。

バウンサーちゃん


またにゃ~~


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